学院の地理の小川先生

すでに故人となってしまったが、高校時代のインパクトの強い先生の一人、小川先生。

授業は基本的に成立しておらず、先頭中央の席に座っている学生と世間話をして一年が終わっていた。一応テストの範囲は知らされて、いざ期末テスト。問題用紙が配られ、一問目を読む。選択式穴埋め問題だ。

[ ] 世紀のイギリスでは産業革命が起こり、なんとかかんとか。

そこで選択肢に目を移す。20個近い選択肢に、数字が"18"の一つしかない。ここで思わず吹き出してしまった。

ネットで検索したところ、今や小川先生の情報はmixiのコミュニティしかないではないか。そこで、権利関係面倒だが、ここに保存することにした。

一応リンク: http://mixi.jp/view_community.pl?id=358223




「次は中央線が出る」って言われてみんな新宿から八王子まで必死になって覚えた。
が、出たのは遥か遠く山梨とかの山、湖。。。15年くらい前だけどかなりインプレッシブ。


「学院の敷地の横を流れている川の名前を書け」というのがこれまでで一番の難問だったときいています。

答えは「石神井川」だそうです。。。難しいですね。らしくない(-。-) ボソッ
ちなみに「小川」でも正解になったそう。やっぱりこうでなくっちゃ。


小川先生、大塚に住んでいたらしく、「僕は大塚を経由で通ってくる人には10点増としている」とのことでした。大塚で乗り降りしなくとも、通り過ぎるだけでOK.ただし、自己申告が必要だったような。

家から学院までの道のり。バスの停留所の名前でもOKでした。


北米大陸にある、世界最大の経済大国は(  )合衆国である」の括弧を埋める問題が出た気がします。


こんな問題だったような。確か2年生の時だったので1986年ってことですね。勿論選択肢にひっかけのような迷う項目はありません。特に3.などは「大」を入れると日本語としておかしいので国語力も問われる高度な問題でした。

【選択問題】
1.北太平洋の南西部に発生する熱帯低気圧が協力に発達したものを【  】風という。
→「台」が正解

2.アメリカ合衆国とカナダの国境地帯に存在し、周辺は自動車を中心とした世界最大級の工業地帯となっている湖を【  】湖という。
→「五大」が正解

3.日本の国土はアメリカより【  】さい
→「小」が正解。

【自由記述問題】
北朝鮮と韓国の違いを書け。
→回答例:北の方が寒い。韓国はキムチが美味い。


西武新宿線の急行停車駅を書け」という試験問題があったとの伝説を聞いたことがあります。


私が小川先生に習ったのはもう25年くらいまえの話しだけど、西武新宿から上石神井までの駅の個数を書けという問題がでました。私は新宿方面から通っていいたので、簡単に答えられましたが、反対から通っている同級生は、答えに困り、急行で4個と答えていました。何点もらえたかは忘れてしまいました。あと、私たちのころの伝説は「山手線の駅を3つ書け」という問題があったのですが、小川先生の最寄駅・大塚駅を書くと高得点だというものがありました。



みなさんの場合よりかなりまともでした。「上石神井駅から出ているバスの行き先で、中央線の駅はどこか、漢字で書け」
荻窪、が正解。でも「窪」が書けずに久保とか書いて出した。

「アフリカにある川の名前を書け」
小川自筆の問題用紙の文字が汚すぎてよくわからず、アメリカの川、と読み違えて

コロラド川

とか書いて試験終了。答案用紙をふと見るとアフリカと書いてあるようだ。でもめんどくさいのでそのまま提出。どう回答しても一年間いつも87点だった。


10年前、幸運にも小川先生の最後の年に入学しました。少し前に学院長(伴さん)に叱られたとかなんとか仰っていたような気がします。なので、極めてまともな試験だったように記憶しています。

1学期 「何処何処の国は( )気候である」が3〜4問くらい。

2学期  いつもの調子の授業の最後に「試験範囲は教科書120頁分だな」
    →学院生「えっ!?」
    →試験問題「スイスの使用言語を答えなさい」
     
     ロマンシュ語が書けませんでした。

3学期 「君の家から学院までの道のりを地理的に説明しなさい」


・・・この問題を遺して、小川先生は退任されました。

ちなみに、私が学院時代に指導を受けていたOBの方(30年前くらい卒)によれば、当時の問題は「東海道線品川駅を出て、最初に右に見える山の名前を答えなさい」というものだったそうです。


Q: 下記の空欄を埋めよ。
 上石神井: 西武新宿線の急行停車駅がある。 ( ) があるため、毎日君たちがやってくる。

正解は、「早大学院」でも可だが、「小川先生の授業」などと書くと加点があった模様。


確かに、答案用紙に「100点下さい。」
と書いて100点もらってた奴がいたよ。


初めまして、やはり小川先生は神だったのですね。
僕は小川先生が学院で教鞭?を取られる最後の年に入学したのですが、
入学後まもなく授業中に菓子を食べてたら
「おいお前何食ってンだこっちこい」と言われ恐る恐る菓子を差し出しました。
小川先生は一口それをほおばると、「よし、お前は+10点だ」と言われました。
後になってこれくらいは日常茶飯事であることを知りました。

定期テストで思い切って白紙で出したら80点ちょっとくらいもらえたことや、テスト問題には自宅から学院までの道を書け等がありました。


彼は中央の1番前の生徒にだけ絡んでたような気がする!それ以外の生徒は、トランプや麻雀してたような!彼の試験は、自分の地元について書けみたいな感じだったかな!


驚くなかれ5、6時間目が連続して地理で俺らよく小川に交渉して5時間目で終わらしてクラス全員で早退してた。小川は「わかった。そーと帰れよな。」といって優しく了解してくれた。だって、あんな馬鹿な授業2時間も連続して聞くのやだもの。


私の時に出た期末の問題は”南極海に生息する世界最大の哺乳類はナガス(?)である”というもので、?を答えるものだった。引っかけか、あるいは何か特殊な答えがあるのかと思い、少し悩んだのを覚えている。でも?の答えはやはり”クジラ”でした(笑)。

一度、何やら巨大な世界地図らしきものを持ってきたことがあり、「おぉっ!」と驚きと期待を抱いたことがありましたが、結局教卓の横に置いたまま、一切使わずじまい。いつものように、お気に入りのT居くんと、彼の自宅のある地域の話をするだけでした。